マイナスな感情も言語化すべきなんじゃないか
以前ブログを書こうと思って、過去にあった経験を書きだしたところ、とてもじゃないけど公に公開できないような内容になったことがある。
公開に値しないと判断した理由としてはいろいろあるが、非常なマイナスな内容だったことが大きい。
その記事は公開したところで私に何のメリットもないし、ある種の誹謗中傷にもなりかねないものだった。
余談だが、今までブログ記事であっても、書き上げてすぐに公開ボタンを押したことはない。仕事の原稿ほどではないにしろ、一度書いたものを読み返している。そしてその記事は読み返した結果、お蔵入りにすることにした。
こういう記事を「立ち止まって考えてみる」というワンステップを経ることなく、いきなり公開したりすると炎上するんだろうなと思ったりもする。
まぁ、それはさておき。
先ほど、「私には何のメリットもない」と書いたが、意外にもメリットは存在した。
私は記事で書いた件について、今まで明確に言語化したことがなかったのだ。
仲間内のSNSで詳細には話さないにしろ、愚痴っていた記憶はある。それも割と頻繁に。しかし、今回改めて詳細に言語化したところ、非常にすっきりした気持ちになった。
その理由について考えてみたのだが、多分、「簡易的な言葉で吐き出したつもりになっていた」のだ。
私は、ネットスラングを好んで使うタイプの人間なので、プライベートなSNSでは多用することが多い。その結果、自身の感情を簡易的に「表現したつもり」になっていたのかもしれない。
当該記事はネットスラングを使用せず、感情をきちんと言葉で表現していた。それにより、その時感じた憤りであるとか、怒りが本当にストレートに表現されたんだと思う。
メンタルケア的な書籍でも「モヤモヤしていることをノートに書きだすといい」というようなことが書いてあるのを見たことがある。
私の場合は、ブログ記事として書き出したことにより、すっきりと浄化することができたのかもしれない。
やはり、「書く」ということはあなどれないなと思うと同時に、「モヤモヤしていることをノートに書きだすといい」を身をもって実感したのだった。