主食:舞台

フリーライターが語る舞台のこととか、散文とか。

あの人みたいにできないからやめよう。

私は、4年制の音楽大学を卒業しています。

いまや有名人になった若手ミュージカル女優さんや、某有名アニメ映画の主題歌を歌った方などが卒業生です。

しかし、私は今ライターをやっています。

専門性のある大学を出た人というのは、多かれ少なかれその道に携わっています。(本業かどうかは別として)

では、なぜ私は「音楽の道」に進まなかったのか。

理由は明白です。

「あの人みたいにできないからやめよう」と思ったのです。

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私の大学時代の成績というのは、まあ可もなく不可もなく。

授業は真面目に出席していましたし、試験の点数もそんなに悪くなかったので、3年生以降は比較的ラクができるというやつです。

普通の大学だったらそれでいいのでしょうが、私が通っていたのは「音楽大学」。

カリキュラムを真面目にこなすだけではなく、「日々の積み重ね」が必要です。

 

大学には、楽器や歌の練習ができる「練習棟」というものがありました。

ちいさな防音室が4階建ての建物につまっているんですね。

そこで授業の課題だったり、あるいはコンテストなどに出る場合の課題曲、日々の基礎練などをするわけです。

そんな大事な建物ですが「練習棟」は1棟しかありません。全学生がそこに集合するのですから、当然奪い合いになります。

大きな部屋などはあらかじめ予約が可能ですが、基本的には早いもんがち。

授業が終わったあとや、大きな空き時間ができた際にコンスタントに確認しても使えないのがほとんどでした。

そうなるとどうなるか。

「自宅で練習するしかない」のです。

 

今はそれなりに自覚もあり、気をつけてはいますが、私は割に自意識過剰なところがあり、非常に人の目が気になる人間です。

そして実家ぐらしで、窓から窓へ飛び込んでいけるほど、隣の家が近い。ちなみに防音室なんてありません。

そうするとどうなるか。

「恥ずかしくて自宅での練習ができなくなる」のです。

 

また、私はそもそも「練習」が嫌いでした。

ただでさえ練習嫌いな人間が、大学の施設もほとんど使えず、恥ずかしくて周囲に筒抜けな場所で練習することもできない。

カラオケボックスで楽器の練習をしている方をたまに見かけると思うのですが、私の専攻は歌だったので、それも難しい。

 

そんなふうに理由をつけて練習をほとんどしなかった自分がいる中で、同級生でトップクラスの子たちはどうにかして「練習」を続け、上達していきます。

そんな同級生の姿を見て、私は思ったのです。

「あの人みたいにできないからやめよう」

このまま音楽を続けていても、どうせ大成しない。

だったら就職して、きちんと働こう。

そう思い、別に誰に何を言われたわけでもなく、自分自身で「あの人みたいにできないからやめよう」とすっぱり歌うことをやめてしまいました。

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もちろん、社会人経験を積んだのは絶対的によかったと思います。最初の3年間は接客業だったので、世の中には様々な種類の人間がいることも知れましたし・・・(笑)

しかし、今になって思うのです。

あのとき、何かしらの形で続けていたらどうなったのかと。

大学卒業から今まで約10年。

歌を続けていたら、1回くらいは人前で歌うチャンスがあったかもしれない、と思ったりするのです。

 

さて。今の私はライターをはじめて1年ほど経ちました。1年前に比べたら進歩はあると思います。

そんな中、仕事用のSNSアカウントの「毎日ブログ書いてます」「私は書くのが好きなので」「書くことだけは何時間でもできる」というコメントがちらほら目につきました。

もちろん、私もライターを始めたのは、「書くのが好き」というのが、理由の大部分をしめています。

でも私はブログを毎日書いているわけでもないし、SNSを毎日更新しているわけでもない。何かアピールできるような「習慣」もない。

あの人みたいに毎日発信できないから、毎日書いてないからライターに向いてないんじゃないか。

本当に「書くことが好き」なら日々楽しんで書けるのではないか。

そうなると、またアイツが顔を出してくるのです。

「あの人みたいにできないからやめよう」

 

しかし、今の私はちゃんとそれに「NO」が言えます。

毎日何かを書いてなくてもライターはできますし、「どんなに好きなことでも「めんどい」「だるい」と思うのか」と一種の知見を得たような気持ちです。

それになぜ「フリーランス」を選んだか、という理由を定期的に思い返すと、やっぱりこの道でやっていこうと思えるのです(それについてはまた追々書きます)

「あの人みたいにできないからやめよう」と諦めてしまうのは簡単です。

でも、そもそも「あの人」と「私」は違うのだから、「あの人」と同じじゃなくていい。

続けることで誰かに迷惑をかけるのであれば話は別ですが、そうじゃないのなら、どんな形であれ、続けてみるというのも1つの手段だと思います。