主食:舞台

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役を生きる、という事(ミュージカル SMOKE感想)

2018年10月13日。

浅草九劇にて、ミュージカルSMOKEを見てきました。

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お目当てはもちろん、今猛烈に推している大山真志くん。

彼との出会いは2年前、る・ひまわりの「晦日明治座納め・る祭」をDVDで見たことなんだけど、これについては長くなるので今回は割愛。

同世代の役者さんにここまでハマったのは初めてで、今までの推しは大体年上。それも親ぐらい離れてたりする訳で。

 

まぁ、SMOKE以外の話はこの程度にして。

今回、観劇前に読んだ記事では「今まであまり見た事のない役柄」であったり、「14歳の心を持つ青年」というキーワードがあり、前述した納め・る祭、通称納祭で彼が演じた役柄は、幼いとはいかないまでも、なかなか可愛らしい、愛される役だったので、それに近い感じなのだろうかと思いつつ、観劇を心待ちにしていた次第。

 

以下、ネタバレ感想。

本作品はネタバレを知らない方がより楽しめるかと思いますので、観劇前にお読みになることはおすすめしません。

また、大山くん定点の感想になりますので、その辺も悪しからず。

 

 

 

 

まず、私は観劇前に「前半と後半でキャラが違いすぎて同じ人とは思えなかった」という感想を読んでおり、その時点で既にワクワクが止まりませんでした。

「海」は14歳で心が止まってしまっている27歳の青年。

という所なんだけど、実際演じているのを見た感想としてはもう少し幼く感じました。

「超」の高圧的な態度にびくびくおどおど。

喋る時は舌っ足らずで、「ダメだよぉ」と言った具合に語尾に小さな母音がプラスアルファされる様な喋り方。どちらかの手は不安そうにズボンをぎゅっと握りしめていたり、不自然に力が入って開いていたり。

今回のビジュアルはすっきりとした短髪にワイシャツにベスト、サスペンダー付きのズボン。

がっしりとした体格なのに幼く見える、というのは初見の方はビックリするポイントなんじゃないかと思います。

「海」は、海に行って絵を描くのが夢。そして、「超」に好きなだけ詩を書いてほしい。誘拐されてきて苦しみを訴える「紅」に、いても立ってもいられず「ないしょだからね!」と解放してあげる優しさも持ち合わせている。

序盤の「海」はバタバタするし、ワタワタするし、でも純粋で、「紅」の語る海の話を目をキラキラさせながら聞く。

私が特に好きなところが2つあって、1つはテーブルによじ登って楽しそうに海の絵を描く所。

本当に楽しそうな笑顔を浮かべて筆を動かす姿に、自然と口角が上がってしまいました。

もう1つは、「超」が書いた詩を読んで、私も頭の中でお話を作った事があると言った「紅」に「そのお話聞かせてよ!」と無邪気な顔をしている所。

椅子に座って、腕をテーブルの上で組み、その上に顎を乗せて、上目遣いで「紅」を見る姿は本当に子供の様で、途中びっくりした顔をした時は、どんぐりの様なまんまるな目になり、それがとても可愛らしかったです。

出かけていた「超」が戻ってきた事によりそれまで生まれ始めていた幸せな空気が一気に冷え込む辺りは、この場においての絶対的なトップは「超」なんだ、という事がはっきりとよく分かりました。

そして、「海」には失われた記憶があると分かり、「超」「紅」に対しての印象も少しずつ変わっていく。

 

ここから、少しずつ私は、あ、この役大変だな?と思い始めました。

今回私がいたのはWブロックだったので、この後の錯乱→気絶(睡眠薬で)→目覚めて悶え苦しむ辺りは殆ど背中しか見えなかったけれど、さっきまでのやわらかい空気は消えて、緊迫した空気を身にまとい、これは一体どういう事なんだと叫ぶ姿に胸が苦しくなりました。

チケットはあと2枚(増えなければ)。しかもSブロックなので、今回ほど役者先行でチケットを取って良かったと思った事はないです。

 

目覚めた「海」に全てを話す「超」と「紅」。まだ、「海」は幼いまま。でも、徐々に思い出していく。

そして、詩を書いていたのは「超」ではなく「海」で、自分の書いた詩が誰にも理解されず、挙句狂人だと罵られ生きていく事が苦しくなって鏡の中の自分-「超」に何もかもを超越した存在を望み、詩人としての自分の記憶も何もかもを全て押し付け、自分は幼い頃に反対されて辞めてしまった絵を描く事だけをする幼い頃の「海」になった。

 

はい。大好きです。

こういうの。

「超」を鏡の中から引き出して、自分は鏡の世界に閉じこもる、とか、記憶を思い出しかけて頭が割れそうに痛いとか…。

推しのこういうお芝居がこんなに近距離で観れるとは思ってもみませんでした。

 

話を戻しまして。

鏡の世界に閉じこもるというシーンの演出が凄くて、上から照らされたレーザー光線が、鏡の様にテーブルを挟んで立つ「超」と「海」の間に照射されて、それがまるで鏡の様になって、そこから「海」が腕を伸ばして、中にいる「超」を無理矢理引き出す、というのが好きでした。

 

全てを思い出した「海」には先ほどまでの幼さは無く、歌もずっとトーンが低くなって、低音中心。

顔つきも精悍になって、幼い「海」は影も形も無い。

この切り替わりが、観劇前に見かけた「前半と後半でキャラが違いすぎて同じ人とは思えなかった」という感想を産んだのでしょう。

個人的な好みを申し上げますと、私は大山くんの低音が大好きです。高音を歌い上げたり、楽しそうに歌うのももちろん好きなのですが、低音の響きは本当に素晴らしいと思うのです。

低音でパワフルに歌い上げる姿には、楽しそうに絵を描いていた「海」の面影はありません。

素直に凄いなと思いました。

どちらの役柄も引き出しとしてある事は知っていたけれど、2時間弱のお芝居で両方を演じ分けるというのは、並大抵の事ではないと思うのです。

しかもその後は「海」を中心に話が進んでいく。つまり、この物語において「海」は主役だった事になります。

韓国で上演した際は、「海」もダブルかトリプルキャストだったそうなので、日本でシングルキャストでこれを演じるというのは本当に凄い事なのだと分かります。

 

タイトルにした「役を生きる、という事」ですが、少ないながらも大山くんのお芝居を見てきた中でこれは役を「演じる」のではなく、役を「生きている」と思ったのです。

「海」という男の人生を生きていると。

パンフにも「ターニングポイントになる」と書いてありましたが、ここからもっと色んな作品に繋がればいいなと思います。

大山真志という素晴らしい舞台俳優よ、世界に見つかれ!!

 

以上、SMOKE、大山真志くん中心感想でした。お粗末さまでした。